2024年度
修士論文
- 日常性と非日常性が交差する場、性風俗――男性客イメージ再考を通して
- 近代化・脱近代化の中の家族――哲学的に考えるための予備作業として
卒業論文
- 意見を述べることの難しさについて
- 承認と非承認の境界にある関係性――血縁や性愛によらない結びつきをめぐって
- 恋愛の変容――現代日本におけるロマンティック・ラブ・イデオロギーと恋愛をめぐって
- おいしくごはんが食べられますように
- 障害を「みえなく」させる非障害者――発達障害のある人たちの生きづらさに着目して
- 「大人になる」とはどういうことか
- よき恋愛とは何か?――恋愛を評価したがる人々
2023年度
修士論文
- メンヘラの生存戦略―死は敗北でないけれど、私は死んでほしくない―
- 女性装実践者の身体から匂い立つ身体
- トランスジェンダーのジェンダー表現について―シスジェンダー/トランスジェンダーの語りを通して―
- 競技スポーツにおいて科学技術の使用はなぜ強力に規制されるのか?―「ドーピング」や「道具ドーピング」を中心に―
- わたしにしかみえない〈あなた〉とともに生きるということ―非存の他者とのかかわりをめぐって―
- 『夜と霧』を再読する
- 迷う世界の人々
卒業論文
- Queer Hip Hopとはなにか―ブラック・クィア・ミュージックとしてのHipHop―
- 「吃音は障害である」とはどういうことか
- 他者と同じ空間に居るということ―コロナ禍におけるパフォーミングアーツの動向から―
- 性をとりまく「否定」の語り
- パンデミック対応における二層功利主義の可能性と限界
- 「産むこと」と「育てること」の一体性への再考―「緊急下の女性」と「赤ちゃんポスト」をめぐる言説に着目して―
- 教育における発達の批判的検討―すべての子どもが共に学べる教育に向けて―
- 非行少年にとっての「良き人生」とは何か
- 「生まれてきたくなかった」という声―出生に関する議論で見落とされてきたもの―
- 「太宰治」から津島修治へ
2022年度
卒業論文
- 不登校とどう向き合うべきか―子どもを支える家族に着目して―
- ポピュラー音楽作品とアーティストの薬物使用―レコード会社の対応を考える―
- 自己のなかの他者―他者のことばが刺さるとき―
- 性風俗言説にあらわれる男性客―男たちは常に「強者」なのか―
- 私たちと泣き―涙とともに生きる―
- 加害者とその家族を取り巻く問題について―ともに生きる社会のために―
- 二次創作について葛藤しながら考えてみた
2021年度
修士論文
- 中国における医療従事者に対する暴力―医療現場における対人関係再考の意義と展望―
卒業論文
- 〈とり乱し〉のエチカへ―田中美津における〈女性的なもの〉―
- 関係のない他者の責任について
- 『進撃の巨人』の倫理的考察―サブカルチャーから現代社会を読み解く―
- これからも関係性が続いてほしい人とのコミュニケーション
- ケアの文化化を目指して―介護士と高齢者の関わりから―
- 「らしさ」からの解放 男性学の視点から
- 身体を覆う表現―メルロ=ポンティの表現論による刺青の知覚―
- 「生きづらいわたし」の名前―病、障害、じぶんを名づけること―
- 近代家族に求められる関係性
2020年度
修士論文
- 安楽死・尊厳死・自殺問題―社会現象としての死の問題に関する議論―
卒業論文
- パターナリスティックな介入と支配
- 自己満足の美容整形―「自己」とどう向き合うか―
- 科学研究における法と倫理指針の関係
- ドーピングはなぜだめか
- ラベリングの困難性に見る、アダルトチルドレンと毒親の倫理
- それでも私に“yes”と言う―自分自身を肯定するとはどういうことか―
2019年度
修士論文
- 我が子との死別を経験した母親達の自助グループから学ぶ―いのちについて・生きるということについて―
卒業論文
- 道徳的葛藤を合理的に解決する―人それぞれで済ませないために―
- いじめとどう向き合うか 学校教育とケア
- 声を用意しておくこと―フェミニストでありつづけるために―
- 私たちと環境問題―自然観と想像力の再考―
- 依存症から回復の語りを聞くために―ドラッグの使用をめぐって―
- 化粧を経験する―フェミニスト現象学による生きられた身体経験の考察―
- ドーピングはなぜいけないとされるのか―エンハンスメント議論を中心に―
2018年度
修士論文
- 声をきくということ―女性の語りをはじまりとして―
- 日本における生命倫理のあり方を考える―優生思想から解放された社会の構築を目指して―
- 性をめぐる「私」と身体のやっかいな関係を解きほぐす―コンテンポラリー・アートの作品経験の記述を通じて―
卒業論文
- 日本の道徳教育の考察 デューイの教育論との比較検討
- 教育の場で「すごす」ということ―自己変容する教育に向けて―
- 倫理における真理の暫定性と反相対主義―ローティのプラグマティズムをめぐって―
- 装いの現象学―衣服と他者、カテゴライズからの逃走―
- 和辻哲郎と生命倫理学―人格・間柄・生命倫理学―
- プライベートとパブリック、「私」を中心とする2つの社会関係
- あるひとの語りに応答する―自分自身を説明するとは―
2017年度
修士論文
- 社会理論が取り残した記述の可能性―ルーマンシステム論以後の社会記述
- 〈表現するもの〉の現象学
- ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)とは―障がいのある当事者の視点から理解する
- 原爆体験を語ること、聴くことの歴史的変遷と受容の問題
- ひとりの人が自宅で暮らすことを支える―私の訪問看護師としての体験より
- 終末期患者とその家族から見る今後のリヴィング・ウィルのあり方について
卒業論文
- 治療的対話におけるポリフォニーの位置づけ―参加者の「ゆれ」から見るオープンダイアローグの原理
- 中傷発言と応答責任
- 生き残るということ
2016年度
修士論文
- 応用演劇におけるケア―こえていく、ひらかれていく物語
- 依存、ときどき自立―「依存」「自立」概念の臨床哲学的考察
- 協働の場としての身体―踊りを生みだすワークショップ経験の記述から
- カリキュラム概念の臨床的問い直し―教室での対話から
卒業論文
- 「装い」と自己―ファッションを中心に見えるものから考察する
- 韓国の徴兵制と兵士の精神的痛み
- 生き残るということ
- 心と体の移ろう性―性別の不調和とどう付き合うか
- 退屈の中の意味の喪失
- キルケゴールとともに経験の固有性を考える―受難、沈黙、語りを通じて
- 壊れゆく「あなた」と生きるということ
- 「うまれ」と決定―誕生に関する自己決定を考える
- ノスタルジアとアイデンティティの絡み合い
- 利己主義の重層性について
- 関わり生きていくなかの慰め―触れ合いから考えるケアのもうひとつのあり方
2015年度
修士論文
- R.J.リフトンのサバイバー研究における「変容」思想について
卒業論文
- 生存と肯定―「生まれてこないほうがよかった」をいかに乗り越えるか―
- より望ましい最期の過ごし方の実現に向けて
- メディアと歓び―現代のメディア環境における欲望と意識のあり方について―
- 信頼を前提としたコミュニケーション論
- “女性”が表現するということ
- 精神障害者家族―子どもの立場―
- 性的少数者から考える私たちの性―「変態」というカテゴリーのあいまいさ―
- 自分のために生きるということ―行為の原動力を「自分」にするために―
- 借りとどうつきあうか
- 対話を通じて現れるもう一人のわたし―フーコーの「パレーシア」を手掛かりに―
2014年度
修士論文
- 学校の中で教育を生きる―既知からの解放としての学び―
- 現代おける正義への実践的アプローチの探求―アマルティア・センの正義論を手がかりに―
- 倫理学理論の「応用」としての歴史研究の構造―和辻哲郎『日本倫理思想史』の分析から―
- 『内的時間意識の現象学』を中心としたフッサール初期時間論の生成について
卒業論文
- ありそうになさ―ルーマン理論と「日常」の接続―
- 親密性の再定義と捉え直しの試み―家族的関係性のオルタナティブ―
- 対象喪失と「不在という存在」の向こう側へ―再び前を向いて生きていくために―
- 交わりが創造されていく場―障害のある人とともに踊る経験から考える―
- 問題解決型教育による性の学びの可能性
2013年度
修士論文
- レヴィナスにおける主体性と責任―「宗教」へ向けて―
- 死を存在するもの―実存することと死との関わり
- 音楽療法実践という場に見出される関係性の役割―身体の声を聴くことを通じて―
- 外交の現象学―メルロ=ポンティにおける社会性の問題
- とり乱す私たちの非暴力―J.バトラーの社会存在論と田中美津
卒業論文
- 「シェア」という生活の形態―だれと何を共有するかを中心に―
- 「本音を言い合える関係」と「実存的交わり」とはどう違うか
- ハーバーマスからみる現代コミュニケーション論
- アイデンティティの不安と日本人論
- 労働の価値と幸福についての考察
- 「前向き」の可能性と「整然とした世界」について
- 応用オントロジーにおけるオントロジー的実在論の考察
- コミュニケーションを通じた社会的アイデンティティの獲得について
- 母と娘の関係を通して考える女性のアイデンティティ
- 生態学的アプローチから行為と作品を考える
- ドメスティック・バイオレンスと自己愛
- 遊びと問いかけ―子どもは何を感じとるか―
2012年度
修士論文
- ウイニコットの児童発達論と教育論への展望
- 看護と道徳的不確かさ~ハンナ・アーレントをてがかりに~
- 〈離れ〉について―生の制作術のための概念として
- 経験としてのデモクラシー―デューイとともに考える〈結び直し〉の教育
- 自己変容援助論 well-beingが媒介する医療者患者関係
卒業論文
- 初期サルトルにおける想像と行為―『想像力の問題』を中心に―
- 自由と自律の教育
- 現代における和辻倫理学の「応用」可能性の探求―『倫理学』の体系的統一性の分析から―
- 実践的活動における手段決定・評価のあり方
2011年度
修士論文
- 病院で産むという経験―産む人との語り合いから―
- レヴィナス『全体性と無限』における時間の構造―「繁殖性」の概念から―
- K・ポパーの政治哲学とその限界
卒業論文
- 労働としてのケアの社会的評価について
- 科学にできること、できないこと~放射能からみる科学と政治の関係~
- 共存と捉えなおし―メルロ=ポンティ『知覚の現象学』における他者の問題―
- 現代社会における親密な関係と性的なもの
- ヴァルネラビリティと主体―ジュディス・バトラーを/とともに読む―
- コミュニケーションの入り口としての他者の二人称性―レヴィナスの〈語ること〉とともに―
- 正義についての「斜めから」の考察―デリタ『法の力』を中心に―
- 犯罪被害者をめぐる「ステレオタイプ」についての再考
- 潜在能力アプローチによる「生活の質」の豊かさの考察
- 貧困を考える―格差社会に対する倫理的問い―

