准教授 小西 真理子 Konishi Mariko
専攻:倫理学/臨床哲学
Researchmap:https://researchmap.jp/marikokonishi
1984年生。立命館大学大学院先端総合学術研究科一貫制博士課程修了。博士(学術)(立命館大学、2014年)。日本学術振興会特別研究員DC、PD、RPDを経て、2018年4月に大阪大学大学院文学研究科講師に着任。2021年4月より現職。
研究紹介
共依存の研究から出発し、現代社会における病理的な関係、依存症、家族問題などについて研究してきました。最近は、親密な関係やケア関係に生じる暴力や支配に対して葛藤を抱える人びとの声や、病理的とされる状態を取り巻く回復言説の外側に存在するような声に注目しています。規範と一致しない声に着目することで、今まで見逃されてきた/否定されてきた「倫理/人間の生き方」を明らかにするのが、私の研究スタイルです。
メッセージ
日常を過ごすなかで、(他者や自己の)言葉にならない「苦しみ」や「想い」に出会うことがあると思います。倫理学・臨床哲学の営みは、それに一定の言葉を与え、「この苦しみ/想いは一体何なのか」「それはどのようなことを訴えているのか」「何が必要とされているのか」などに対する答えの一つを、これまでとは別の仕方で導く手助けをしてくれます。「言葉なき声」に耳を傾け、それをあえて学術的に言語化することで応じることのできるものについて考えていきたいです。
大学院に進学してまで考えたいテーマや関心には、さまざまな背景があるでしょう。その背景は時に重く、時に素朴です。自分が本当に大切だと思うことについて、先に進むのではなく立ち止まって、徹底的に悩んだり考えたりすることは苦しみを伴うかもしれませんが、大変楽しいことでもあります。また、関心の一部を共有できる人を探したり、出会った人に影響を与えられたりしながら、その経験が研究を形作っていくこと、その研究をもって他者に問いかける機会がもてるのは、臨床哲学の実践の醍醐味ではないでしょうか。
書籍紹介
小西真理子『共依存の倫理:必要とされることを渇望する人びと』
(2017年、晃洋書房)
離れる他に、できることはないのだろうか?
病理/非病理、偽物の愛/真実の愛、不幸/幸福、支配・従属/支え合いなど、多くの両義性を抱える「共依存」をめぐる言説を分析。そこに存在する倫理観を暴き出すことで、臨床の専門家や各領域の理論家が見逃してきた倫理と現実を提示する。
小西真理子・河原梓水編著『狂気な倫理:「愚か」で「不可解」で「無価値」とされる生の肯定』
(2022年、晃洋書房)
愚かな人生はある。不可解な生活もある。無価値な生もあるだろう。
しかし/だから、狂おしい思いで、その狂える倫理を書きとめる。何かが狂う。何かが正される。そして何かが動き出す。
若き友人たちの本ができあがった。
—小泉義之(立命館大学名誉教授)
14人の執筆者が「狂おしい思い」を「当たり前」のこととして主張するためにかきとめた13テーマ。
小西真理子『歪な愛の倫理:〈第三者〉は暴力関係にどう応じるべきか』
(2023年、筑摩書房)
DVや児童虐待に代表される、暴力関係から逃れられない人には、実際、何が起きているのか。問題系を前提とした〈当事者〉ではなく、特定の個人に注目した〈当人〉の語りから議論を始めたとき、〈第三者〉は、どのようにして応答することができるのか。本書は、「なぜ暴力関係から逃れられないのか」という問いへの通説的な見解に対して、再考を迫る。あるべきかたちに回収されない異なるエートスを探求する、刺激的な論考。
キャロル・ギリガン著、小西真理子・田中壮泰・小田切建太郎訳『抵抗への参加:フェミニストのケアの倫理』
(2023年、晃洋書房)
ケアの倫理は、フェミニストの倫理であると同時に人間の倫理なのだ。
ケアの倫理の金字塔『もうひとつの声で』の刊行から時を経て、ギリガンがたどりなおす抵抗の軌跡。ギリガンの半生の語りと、そこから紡ぎだされるケアの倫理をめぐるアカデミックエッセイ。