研究室にいたときのこと
学部生時代から倫理学研究室に在籍し、主に子どものための哲学(P4C、Phylosophy for Children)の活動に関わっていました。関西圏から沖縄、幼稚園から高校生まで幅広い年齢の人たちと対話し、ともに安心して考えられる場をつくる、という取り組みの中で、人と共に考えることの難しさと面白さを知りました。元々子どもと関わることが好きだったこと、P4Cを通して対話を通した人間形成の可能性を感じたことから、教員を志すようになりました。大学院進学と同時に1年間休学して大阪の高校教員として働き、その後復学して修士課程を修了し、改めて教員として就職しました。
今何をしているか
滋賀県にある立命館守山高等学校で、国語の教員として働いています。哲学対話で培った、「人の話を丁寧に聞き、伝え、考える」という姿勢は、教科や担任の枠を超え、自らの根幹をなしていると日々感じます。今関わっているのは主に高校生ですが、彼らは本当に様々なことで悩み、話をしにきます。傾聴するでも、寄り添うでも、主張するでもない、その人の声と心に耳を澄まし、共に問題の深いところを眺めて潜っていく感覚、とでもいいましょうか。そうした在り方で子どもと接する時、ただ思考を深めたり、知識を増やしたりするのではない、その人自身が人生を選択し進んでいくための根源の部分に関わっているような気がします。

研究室で学んだことと現在とのつながり
修士論文では、「臨床哲学における臨床とは何か」という問題を、自分なりに定義するという試みから書き始めました。それぞれの職業人が臨床哲学という営みを胸にフィールドに臨む時、現場とは別のコンテクストや経験から意味づけられる何かを結びつけることで、その職務を遂行しようとするだけでは「見えていない」ものが即興の形をとって現れる。そうやってそれまで起こりえなかった変容が当事者にもたらされることが、臨床哲学が「臨床」の名を冠する意義である、という話を書きました(少しうろ覚えですが)。
今、あえてその内容に結び付けて考えてみます。卒業して約10年が経ち、平場の教員としてのひとしきりの仕事は経験させていただきました。当然ながら、院生時代の私と今の私では、職業人としての専門性に相当な違いがあります。対話だけでなく、時には厳しく指導することもありますし、授業では言語スキルの習得に重きを置かざるをえない時もあります。そうした教師の専門性に立脚して、生徒たちは一定私を認め、頼ってくれるようになりました。そして、その専門性と両輪をなす、現場とは別のコンテクストが、私にとっては「哲学すること」なのでしょう。専門性の枠内にこだわるあまり、本質を見誤ってしまいそうになる時、事象から距離をおいて深呼吸できる余白を、哲学することから受け取ってきたように思います。
では、私にとっての「哲学すること」は、学生時代からどのように変わっているのか、と考えてみますと、中々難しい問題です。哲学書からも離れて久しく、決して学問的に高度な探究を進めてきたわけではありません。しかし、人生のステージを進めていく中で、人が生きるとはどういうことか、ずっと考え続けてきたような気がします。出会い別れ、喜び悲しみ、何かを大切に思い、思われること。それらが積みあがって突き付けてくる、「命とは、人とはなにか」「お前はどう生きるのか」という問いは、どうやら私の人生の大きなテーマであるようです。否応なしに変わっていく世界の中で、生き方を問い続ける、それが今の私にとっての哲学することであるように思います。何かあるたびにこんなことを考えているものですから、日々の生徒たちとの交わりはそれはもう愉快だったり苦しかったり、色とりどりで話題に事欠きません。そうした私の生への姿勢は、少しだけ彼らにも影響しているような気がします。
そして、このようなあり方、専門性と哲学の両方に足を突っ込みながら日々を営むという形で、私が子どもたちに関われているのは、まぎれもなく臨床哲学の5年間があったからだと思います。
現在の研究室の学生に一言
指導教官だったほんま先生に、「論文には生き方宣言が入っていないといけない」と言われたことが強く心に残っています。当時はそんなこと言われても難しいよう、くらいの気持ちでしたが、先に書いた臨床哲学の定義のように、学生時代に徹底的に考え抜いたことはその後の人生の中で必ず花開き、実をつけてくれます(その実が甘いとは限りませんが)。臨床哲学から広がるご縁を大切に、ぜひみなさんの強い探究心や切実な動機を、突き詰めていっていただければと思います。