研究室にいたときのこと
臨床哲学研究室には、特定の哲学者の思想を研究する人だけではなく、看護や絵本、心身障害やフェミニズムなど、臨床と地続きの研究をする人たちが集まっていました。単純にそれらを研究課題として選択したというよりも、むしろ、のっぴきならない課題として突き当たっている人たち、それぞれの切実さを持っている人たちが集まる、磯の「潮溜まり」のような場所でした。潮溜まりって、海の潮がわーっと満ちてから引いた後に、岩とかのくぼみに海水が溜まっていて、いろんな虫とか魚とか、ヤドカリとかがうろうろそわそわしていますよね。社会っていう海が引いた後に、それぞれの人がこの研究室の中に持ち寄った問題がごった煮になっている静かなくぼみというのがこの研究室のイメージです。
それぞれに持ち寄られた課題は、「これはこうだね」、「こうしたら解決だね」というふうに、簡単に料理できないところがあったと思うんです。通常はそれをいかに定式化してリサーチクエッションに落として言語化するかというプロセスで研究すると思うんですけれど、この研究室ではそのプロセスがそのつど探られているように感じました。方法論がはっきりと確立されているわけではないので、そこが大変でした。他方、圧倒されるほどの社会的課題があるのを知れたこと、そして、それを一身に引き受けないといけないたくさんの人たちが研究室のなかにいる状況は、よかったことだと思います。
私自身は、自分の出身地の災害である阪神淡路大震災について研究していました。修士課程では、アメリカの精神医学者のロバート・J・リフトンの研究をまとめました。1960年代に広島の被爆者達から話を聴き、その後にアメリカでベトナム戦争帰還兵たちと語り合い、それがPTSD(心的外傷後ストレス障害)の成立につながる。1995年頃から日本で有名になったPTSDの源流は広島にあったわけです。彼が大切にしていたのは、サバイバーの智慧から社会を変えていくことができるということです。リフトン自身もサバイバーの話を聞きながら研究の姿勢そのものが変わっていった人です。それをベースにして、博士課程では、自分が本当にやりたかった神戸の研究をはじめました。兵庫県西宮市の復興住宅に行って、そこにいる人たちのお話を聞いてライフストーリーにまとめるということをしました。単純にライフストーリーをまとめて終わりだと研究にならないので、そもそもそれをひとつの物語にするというのはどういうことなのかを考えたことが、ひとつのポイントかなと思っています。
今何をしているのか
2019年3月に阪大を修了して、同年の4月から、神戸市内にある「人と防災未来センター」で研究員として働きはじめました。そこは防災の研究機関であり、自治体の職員さんの研修をする場所でもあり、阪神淡路大震災のミュージアムでもあるという場所です。自治体の人たちは防災に関していろいろと困っている。職務の一環として、防災について教える立場にもなりました。そのなかで防災技術と社会の関係が研究テーマとして立ち上がってきたんですが、そのきっかけは、社会生活の全体を「防災」にまとめてしまうことに、ある種の不気味さを感じたことでした。それは確かに大切なことでもあるんですが、他の倫理の問題や、宗教性、公共性、価値観などを全部上書きしてしまうもののようにも思えました。もうひとつ、阪神淡路大震災後に神戸市内の学校でずっと行われてきた防災教育の研究も進めました。
2024年4月からは、国土技術政策総合研究所という国土交通省の研究機関に任期付研究官として所属しています。この機関は堤防やダムの構造の研究など、土木系・理工系の人たちが主体なのですが、文系の人間をはじめて採ったとのことです。そこで「流域治水」という政策を人文・社会科学の角度から考える研究に着手しています。職場はみな理工系の技術官僚で、フィールドでは地域住民や被災者と会うといった日々です。その場その場で語り方・答え方を考えながら過ごしています。
研究室で学んだことと現在とのつながり
防災の世界は理工系の人が多くて、課題を切り出して、その技術的な解決をはかるというパターンで物事が捉えられがちなんですよね。それだけじゃないだろうと。それだけで、現実の防災の状況とか人間の復興とか回復とか、生活再建というものが成り立っているわけではいないでしょうと。そういう意識を持ちつつ、どう現場に関わっていけるのかを考えています。そういうときに、研究室で学んだ概念とか姿勢をいかにじわじわと混ぜ込んでゆけるのかが重要だろうと思っています。
具体的な話をひとつすると、被災者の「時間の流れ方」と、復興事業における「時間の流れ方」に違いを感じるということがあります。被災者は自分自身の記憶や、身体の老い、生活リズムの変化や、自分が生きてきた土地の季節などの多層の時間を抱えながら生活をリスタートさせなきゃいけないわけです。そこには静止したままの時間、回帰する時間、脈動や瀬や澱みのような流れがある。他方、復旧事業や復興事業は、直線的な、カレンダーにそった時間軸で計画的に物事を進めていこうとします。それぞれの「時間の流れ方」は同じではなく、両者の調停は簡単ではない。復旧復興が難しい事例は、大体この時間の調停がうまくいっていないものです。被災者の時間と計画の時間、どちらに立ちすぎても見えてこないものがあると思います。両方の時間を自分のなかに取り込みながらどう調和してことばを聴いていくのかという視点が形成されたのは、臨床哲学研究室での学びがあったからだと思います。
現在の研究室の学生のみなさんへ
遠慮せず被災地に行ってください。行き方がわからなければ、周囲の先生に聞いてみてください。私に連絡してくれてもいいです。現場に行きたいけど遠慮してしまう、という学生もいるかと思いますが、あまり迷惑になるんじゃないかとか、トラブルになるんじゃないかということを考えすぎず、その土地に行ってみてください。予習や準備は大切ですが、たいてい、被災地には若い人たちを受け入れる隙間があります。ただいるだけでも、お互いがじわーっと良い方向に変わってくることがあるんです。
研究のために被災地に行くのか、というのは難しい問題です。私自身も被災地に「データとるぞ」「研究に生かすぞ」と前のめりで入って、それこそ現場の時間の流れ方と自分の時間の流れ方との関係がうまくいかずに、こちらが空回ってしまったということが何度もありました。でも、そういう失敗をすると「研究って何なんだろう」と、その枠組みを問い直すこともできます。それができると、現場への成果の返し方やフィードバックの回路も自然とひらけてきます。だから、そういう失敗も込みで現場に足を運び、その場所との関わりを続けてみてほしいです。