Vol. 3藤本 啓子さん

2024年10月30日

研究室にいたときのこと

母をがんで亡くしたあと、医療に関心をもつようになり、清水哲郎さん(当時東北大学哲学科教授)の『医療現場に臨む哲学』を読んで、清水哲郎さんの臨床倫理研究会に参加するようになりました。しかし仙台は遠いので、清水さん(臨床哲学研究会の第1回目のゲスト)から「藤本さんの望むような会が阪大」にあると、「臨床哲学研究会」を紹介されました。

大阪大学に在籍していた訳ではありませんが、1998年から臨床哲学研究室の金曜6限の授業に出るようになり、哲学カフェやソクラティク・ダイアローグに参加、哲学対話の面白さを知りました。当時は臨床哲学研究室の院生も手探りで哲学対話を行っていた様に思います。その後、自分でも高校卒業までを過ごした岡山や地元神戸で2004年ごろから喫茶店JUNで哲学カフェを行うようになりました。

喫茶JUN(神戸市)

もともと大学(神戸大学)では哲学を専攻していました。金曜6限では、医療現場のさまざまな人と知り合いになりました。そのころ『臨床哲学のメチエ』(Vol.5,2000年冬の号)で臨床哲学研究室の院生だった會澤久仁子さんの「サングレ・クリストホスピス」研修報告を読み、ホスピスに関心をもち會澤さんに連絡をとりました。当時、會澤さんはホスピスでボランティア活動をされていて、「藤本さんもホスピスでボランティをしませんか」と誘われ、ホスピスでボランティアをするようになりました。そのことが、のちにホスピス病棟(緩和ケア病棟)の職員(非常勤)となってホスピス電話相談をするようになったきっかけとなりました。ボランティアを始めたころは、ホスピス病棟の看護師さんやボランティアさんたちと「死について考える」哲学カフェを行い、医療をテーマとしたメディカルカフェも行うようになりました(シリーズ臨床哲学2巻『哲学カフェのつくり方』第2部8「医療と向き合う場」参照)。

今何をしているのか

2004年にカフェフィロが設立され、カフェフィロのメンバーになり、哲学カフェ、書評カフェ、メディカルカフェなどの対話の場を開き、哲学対話を続けています。特にメディカルカフェでは、医療の問題について対話を通して学ぶ場をつくるため2005年からウェル・リビングを考える会を立ち上げ、その延長でがん相談室も開いています(まちなかカフェ・がん相談室)。

同時に非常勤(英語)をしていた公立高校では、2004年から「英語コミュニケーション」という講座名で哲学対話の授業を始めました。2007年からは、英語から離れて講座名を「臨床哲学」と改め、高校生と哲学対話の授業を続けて現在に至っています(シリーズ臨床哲学5巻『哲学対話と教育』第1部第4章参照)。また、2023年から高校の授業と同じカリキュラムで「まちなか」で「臨床哲学教室」を開き哲学対話のセミナーを行っています。

研究室で学んだことと現在とのつながり

金曜6限で学んだ対話の体験が、今の私の原点となっています。阪大の臨床哲学研究室の金曜6限に参加していなかったなら、今の自分の活動はなかったと思います。

現在の研究室の学生に一言

高校で哲学対話の授業を始めて20年になります。始めたころは、臨床哲学研究室の院生がボランティアで授業を行ってくれました。研究室の学生さんに言いたいことは、哲学の文献だけでなく、もっと積極的に現場に足を運んで哲学対話の場をつくってほしい。高校の「臨床哲学」の授業を引き継いでくださる方がいればお願いしたいとおもっています。ただし、20年それなりにがんばってきたので、引き継いでくれる人がいたら長期的に継続できる方を希望します。

高校での哲学対話の授業風景
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